和歌山の集中豪雨で日高川の氾濫の被害にあった、お兄さんの家にお見舞いに行ってきました。(追記アリ)

私の母の生まれ故郷であり、私を含む兄弟、従兄弟たちにとっては「田舎」であり思い出の地である和歌山県日高川町が、台風12号の直撃により、大変大きな被害を受けました。今から一週間前の9月8に、私の父が日高川町を訪れ、私にメールしてくれた内容を、人名などを伏せた上で掲載したいと思います。

その前に、少し私の方で補足をしますと、「日高川町」という地名は、2005年の市町村合併によって生まれて地名であり、かつてそこは「中津村(なかつむら)」と呼ばれていた場所です。和歌山県御坊市の東方、日高川中流域に位置し、平地はほとんどなく、集落は日高川沿いに集中しています。母の両親であり私の祖父母は、この中津村の「老星」という集落で農家として、お米、みかんやはっさくの栽培、および林業を営んでいました。村のいたるところに柿の木や梅の木があり、絵に書いたような日本の田舎です。私たち従兄弟連中は、年に何度もこの地に集い、山や日高川を遊び場にして育ちました。現在は過疎化が大変進んでいる地域です。

高校野球をお好きな方でしたら、1997年春に、日高高校中津分校が甲子園に初出場したのを覚えてらっしゃいますでしょうか。また90年代にテレビ番組で、城南電機の宮路社長という方がいたのを覚えている方いますでしょうか?アタッシェケースに数千万円の現金を入れてバラエティ番組などによく出演していたあの名物社長を。宮地社長の生まれ故郷が和歌山県日高郡中津村です。

それでは、以下父からのメールを掲載します。

昨日、和歌山の集中豪雨で日高川の氾濫の被害にあった、お兄さんの家にお見舞いに行ってきました。

新聞やテレビのニュースでは、日高川のことはほとんど報道されていませんので、何もなかったかのように思われましたが、一昨日、●●ちゃんから電話があって、日高川筋もひどい被害を受けているということがわかりました。それで、昨日朝一番に家を出て、老星へ向かいました。

まず、有田川の川の濁りを見て、もう水は引いていましたが、川上では結構土砂崩れがあったことがうかがわれます。御坊へ入って、日高川を遡っていったのですが、日高川の濁り方は、有田川とは比べものにならないほどに、泥色に濁っています。玄子あたりでは、道路が冠水したことがわかります。重機が入って、片付けはしたようです。船津の方に近づくと、道路脇の家では、みんな畳を出して干しています。家の中を覗くと、床上浸水したあとと、たくさんの泥や流木などが入り込んできたあとがみえます。小さなダムのある発電所あたりも道路まで冠水したようです。村役場のあるあたりは少し高台になっているので水は来なかったようですが、川の近くの水田はみんな浸かったようです。

レンガ造りの発電所の側はよかったのですが、あやめ橋を渡ったところの村民グラウンドは完全に流れに沈んでしまったのか、グラウンドという様子は全くなくなって、石や岩がゴロゴロしているだけです。ここまでは道路は通行できましたが、これから先は通行止めです。中津村の温泉のあった所とか、キャンプ場、貸しロッジなどがあったところがやられたようです。温泉の取水口も完全にやられてしまって、跡形もなくなってしまったようです。

751中津グラウンド跡

写真1)中津町民グランド跡。とてもグランドがあった場所とは思えない荒れよう。

そこで、発電所を越したところから、犬が丈(いぬがんじょう山)の方へ入って、新しくできたトンネルを抜けて、小釜本の方へ抜けました。そこは老星よりもっと川上にあるところです。そこから川下へ戻ることになります。覚えているかなあ、牛を4,500頭近く飼っている所があったのを。そこが完全に破壊されていました。道路も、ところによっては半分ぐらいえぐられています。その牛舎のあったっところにもう一つコンクリート会社があって、そこも完全に破壊されていて、コンクリートミキサー車がゴロゴロとひっくり返っています。それはそれは恐ろしい光景でした。以前から少々やばいところだなあとは思っていたところです。

734牛舎は全滅

写真2)牛舎は全滅、牛は煙樹が浜まで。

746ひしゃげた車

写真3)コンクリート会社 車がぺしゃんこ。大きな流木が。

735ミキサー車

写真4)こんなミキサー車が流されました。

そこを抜けて、川中第1小学校とか、郵便局のあるところあたりまで戻ってくるのですが、ここも覚えていますか、橋のたもとに、別荘地が分譲されていたのを。何度か見に行ったこともあります。ここは水が出たら絶対水没すると話していたところです。結構売れて、たくさん別荘が建っていました。そこが今回通ると、きれいサッパリみんな、家ごと流されて、更地になってしまっていました。2軒だけ、形だけ残っていましたが中身はみんな流れて行ってしまったようです。

730枠だけ残った別荘

写真5)更地になってしまった別荘地。枠だけ残った2軒の別荘

日高川関連の死者は、このコンクリート会社の人と、別荘に来ていた人のようです。小学校とか、郵便局のあたりはよかったのですが、本川に近づくと橋のあたりで川が急カーブするので、氾濫したようです。何軒かは床上浸水のようでした。本川から老星までは、また通行禁止なので、畑が瀬の方へ渡って、大又口まで戻って、お兄さんの家にやっとたどり着きました。大又口の橋は、消防倉庫側が、流されて、ボルトが飛んでしまって、段差ができていました。スクールバスもここまでで、渡れないそうです。

721大又口の橋

写真6)橋の下にいっぱいゴミが。この橋の上を水が洗ったようです。橋の向こうがずれていました。

お兄さんは会議に出かけたとかで、家には★★ちゃんだけがいたのですが、話を聞いてもらちがあかないので、■■ちゃんの奥さんのところへ行って話を聞くことにしました。話、まずひとつ、牛舎が完全に破壊されたため牛も一緒に流されたようです。老星の道路を牛が歩いていたそうです。御坊の海岸まで流れていった牛もいたようで、煙樹が浜で牛があるいていたそうです。別の人に聞いた話だと和歌浦和歌山市)まで行った牛もいたそうです。

どうして、こんなに水が出たのか。椿山ダム(つばやま−)が放水したからです。ダムの水がいっぱいになって、ゲイトの上を越して流れだしたので、水門を全開にしたようです。

話、■■ちゃんの車が水没してしまいました。買ってまだ2ヶ月だったそうです。保険をかけていたで、さら車戻ってくるそうです。しかし、役場勤めなので、家に帰れないほどフル回転で働いているようです。お兄さんたちは、自動車で、一番高い▲▲さんの家に避難させてもらって、無事でした。家までは水はこなかったのですが、すぐ下の田んぼは全滅、便所の裏の石垣すれすれまで水が来たそうです。夜中の出来事で、電気も切れて、真っ暗の中の避難だったようです。犬も一緒で、無事でした。

広域水道がやられてしまって、断水、テレビはケーブルテレビが寸断されてダメ、ネットもできない状態です。■■ちゃんとこはIP電話なので、電話もダメです。黒電話だけが通じています。携帯もausoftbankはダメ、ドコモがかろうじて通じているそうです。電気は回復しました。水道は回復までに2ヶ月はかかるだろうと言われています。お兄ちゃんとこはもとの井戸を復活させて、なんとかしのいでいます。他の家では、水洗便所になったので、困っているようです。

家から見ると対岸の道路の下がえぐり取られて危険な状態にあります。道路よリ下の畑、田んぼは全滅です。道路の上は大丈夫なようです。老星谷の杉林は無事でした。この間行ったときには、間伐のため業者が入って沢山杉を切っていましたので、この雨で崩れたのではないかと心配しましたが、大丈夫でした。森がすごく明るくなりました。
会議から帰ってきたお兄さんに挨拶をして、帰ってきました。参考に、10枚ほど写真を付けておきます。

692対岸

写真7)対岸は樹木がみんな流されて、裸になった上、道路の下までえぐられていました。

683芭蕉に近づいてみた

写真8)芭蕉に近付いて見た。芭蕉の木がみんな折れてしまいました。

693南無阿弥陀仏の石のところ

写真9)南無阿弥陀仏の岩は健在です。しかし他の岩はどうなったことか。

705老星谷の杉林

写真10)老星谷の杉林。老星谷は大丈夫。間伐が進んでいます。


この地は、58年前にも大きな水害に見舞われており(追記2)、祖父母の代の人々は、その水害で水が来たところより高台の位置に住居を構えています。しかし、その教訓も次第に薄れ、だんだん低い位置に建物が建てられるようになり、そうした低い位置の建造物が今回多くの被害を受けました。三陸津波被害と同じ問題を、山間部でも抱えているのす。

また、16日から今日にかけて和歌山県奈良県などに再び強い雨が降っているとのことで、大変心配をしています。

追記

日高川町役場が公開している被災後の写真(台風12号による災害の記録)
http://www.town.hidakagawa.lg.jp/saigaijouhou/syasin.html

追記2

紀州大水害(きしゅうだいすいがい)は、昭和28年の7月18日前後の集中豪雨に起因する水害である。和歌山県中部を中心として山崩れや崖崩れ、洪水が起こり、和歌山県史上最悪の気象災害となった。(28年水害、7.18水害、南紀豪雨などともいう。)
紀州大水害 - Wikipedia